沿革
創業期
(1950年代〜1960年代)1950
株式会社大金製作所設立
1950年7月、大阪市生野区にて、創業者足立一馬は有志とともに株式会社大金製作所を設立。自動車産業が活気づく中、独自の防振型クラッチディスクを開発し、民生ディーゼル工業への純正部品納入を開始しました。
防振型クラッチディスク 開発エピソード
終戦復興当時、バスに乗るといつも床下からガラガラと高い音が聞こえていました。足立一馬はこの騒音をクラッチで抑えるべく、新しいクラッチの開発を開始。その騒音の発生原因がエンジンの捩り振動と駆動系の固有振動との共振現象にあることを突き止め、試行錯誤の末に、重ね板ばねによる振動吸収機構を用いた「防振型クラッチディスク」を完成。この画期的な技術により日米で特許を取得し、当社の技術が世界に知られる大きな転機となりました。
1963
本社を大阪府寝屋川市に移転
自動車部品の受注増大に伴い、将来の飛躍を見据えて本社工場の移転を決定しました。物流効率や人材確保の観点から寝屋川市を新たな拠点として選定し、1963年1月に移転、同年10月に竣工。当時、日本最大級の自動車部品専門工場(約35,750㎡)として業界から大きな注目を集めました。
1968
初の海外駐在員事務所
アメリカ・シカゴに駐在員事務所を設立
米国市場の将来性に着目し、アメリカ進出の機会を探っていた中、1967年、日本自動車部品工業会(JAPIA)のシカゴ共同事務所へ駐在員を派遣。現地での駐在業務と並行して市場調査や営業活動を推進し、1968年に当社初の海外駐在員事務所を設立しました。
自動車メーカーからの
信頼醸成
(1970年代〜1980年代)
1973
大金・アールエム株式会社設立
(現:株式会社ダイナックス)
1973年、米レイベストス・マンハッタン社との合弁で、現在のAT事業の礎となる大金・アールエム株式会社を設立(後の株式会社ダイナックス)。北海道千歳工場での摩擦材製造を開始しました。
トルクコンバータ 開発エピソード
1958年、東京大学の石原智男助教授(当時)のもとでトルクコンバータの研究を開始。1972年、フォークリフト用トルクコンバータの開発において、従来の鋳造製から当社の強みであるプレス技術を活かした板金製へと転換を図りました。この技術により性能と量産性を両立し、産・建機業界において国内初となる板金製トルクコンバータを実現しました。
大証二部上場。資本金15億円に
1973年10月、大阪証券取引所市場第二部に上場しました。増資により資本金は15億円となり、クラッチメーカーとしてさらなる事業拡大と経営基盤の強化を目指しました。
1975
上野工場を開設
(現:上野事業所)
1973年、産業公害が社会問題となる中で、環境負荷低減を目指し、三重県上野市(現・伊賀市)に約15万㎡の建設用地を確保。1975年8月に鋳造・鍛造工場を竣工しました。同工場は現在、世界最大級のトルクコンバータ製造拠点として、当社の基幹事業を支えています。
1977
初の海外販売拠点
ダイキンクラッチUSA設立
補修部品の供給力強化を目的に、1977年、ロサンゼルス郊外に当社グループ初の海外販売拠点として、「ダイキンクラッチUSA」を設立。迅速な在庫対応を実現することで、現地の顧客ニーズに応える安定したサービス体制を確立しました。
1984
東ドイツへクラッチ製造プラントを輸出
1984年11月、東ドイツのレナーク社へクラッチ製造プラントを輸出しました。当社初のプラント輸出案件であり、異なる政治・経済体制の複雑な環境下での10年にわたる交渉を経て完遂した長期プロジェクトとなりました。
プルタイプクラッチカバー 開発エピソード
高まる出力性能に応えるため、伝達トルクを増大させた「プルタイプクラッチカバー」を開発し、操作性と性能を大幅に向上させました。また、新機構の開発では度重なる耐久試験の課題を、車両メーカーやベアリングメーカーとの強固な連携により克服。困難を乗り越え、製品化を成し遂げた当社の挑戦姿勢を象徴する開発事例です。
1985
初の海外製造拠点
ダイキンクラッチインドネシア設立
1985年、インドネシアの国産化政策に応える形で「ダイキンクラッチインドネシア」を設立。現地のパートナーや商社と連携し、技術供与を通じて現地の調達体制構築を支えることで、同国における事業展開の礎を築きました。
グローバル化による成長
(1990年代~2010年代)1994
企業理念「喜びの創造」を制定
CI(コーポレート・アイデンティティ)活動の一環として、企業の方向性や社員一人ひとりの姿勢を明確に打ち出すために1994年1月、新企業理念「喜びの創造」を制定しました。
1995
「株式会社エクセディ」に社名変更
1995年8月、「株式会社大金製作所」から「株式会社エクセディ」に社名を変更しました。
海外拠点初のトルクコンバータ生産開始
アメリカにおけるATビジネス拡大を目指し、1994年、米国テネシー州にダイキンドライブコンポーネンツコーポレーションを設立。1995年8月、当社海外拠点で初めてトルクコンバータ生産を開始しました。
1996
大証一部へ指定替え
1996年9月、大阪証券取引所市場第一部へ指定替えしました。
1997
東証一部に上場
1997年8月、東京証券取引所市場第一部へ上場し、社会的責務を果たす企業姿勢を改めて強化しました。
2001
二輪車用クラッチ生産開始
アセアンにおける二輪車の需要拡大を受けて2001年12月、タイでセルモータ―用ワンウェイクラッチの生産を開始。現在に至るまで、多板クラッチや遠心クラッチなどバリエーションを拡充しています。
2009
MotoGPに参戦する FIAT YAMAHA TEAMに 乾式多板クラッチを提供
2009年、二輪レースの世界最高峰MotoGPに参戦する FIAT YAMAHA TEAM に乾式多板クラッチを提供しシリーズチャンピオンを獲得。以降、2010年・2012年のシリーズチャンピオン獲得にも貢献しました。
2012
新本館の竣工
2012年2月、エクセディグループの新たなグローバル拠点の中心として、世界の従業員同士の心と心をつなぐ場所として、地上11階建ての新本館ビルを竣工しました。
2014
トルクコンバータ累計生産1億台
2014年5月、トルクコンバータの累計生産台数1億台を達成しました。
2025年5月、同台数は2億台を超えました。
2026年7月現在、当社グループの4か国4社で生産し、
国内外の主要な自動車メーカーが当社製品を採用しています。
2015
クラッチカバー累計生産3億台
2015年12月、クラッチカバーの累計生産台数3億台を達成しました。
現在は世界6か国7社で生産し、2025年末で、クラッチカバーは3億9千万台、
クラッチディスクは4億6千万台の累計生産を誇ります。
アフターマーケットでも高い指名率を誇り、
世界 5,500社を超えるお客様とビジネスを続けています。
変革への挑戦
(2020年代〜)2021
サステナビリティ宣言・長期ビジョンを策定・発表
2021年7月、サステナビリティ宣言及び長期ビジョンを策定・発表しました。サステナビリティ宣言では持続可能な社会の実現及び当社グループの持続的成長に取り組んでいくことを宣言。長期ビジョンでは企業理念に基づき、当社グループが2050年度迄に目指す姿を明文化しています。
2024
中長期戦略・中期経営計画を策定・発表
2024年4月、中長期戦略及び中期経営計画「変革/REVOLUTION2026」を策定・発表しました。中長期戦略は長期ビジョンを実現すべく、2030年度を見据えて策定した戦略であり、「事業ポートフォリオの転換」を大きな柱とし、事業戦略・財務戦略・ESG戦略・IR戦略・SR戦略から構成。中期経営計画は中長期戦略のマイルストーンとして策定した3か年計画であり、最適資本構成の実現、基幹事業の収益力向上、新事業の創出・育成が骨子となっています。